2025.3.23 プロジェクト 未来派~藝大出身の若手作曲家による作品展
2025/03/23(日)19:00開演 国分寺市立いずみホール(西国分寺)
☆石田千飛世:独奏コールアングレのための≪エア≫
☆小野田健太:Obombré pour clarinette solo
☆大村萌樹:ヴァイオリンとクラリネットのための≪二重奏≫
☆前田奈央:March for Oboe and Piano
☆小野田健太:BogosseⅡ
☆石田千飛世:持続のための任意の楽器伴奏付メトロノーム・ソナタより第3楽章「♩=208」〜Coda
☆前田奈央:Galaxy~Funkot style~
☆大村萌樹:明るさに向かって
Fl.石田みそら/Ob.酒井弦太郎/Cl.林みのり/Vn.吉田薫子/Vc.髙月怜/Pf.渡辺晟人
<アンケートより>
●2025年現在に於いて「現代音楽」というジャンルに入るであろう曲目の内容は音色が奏でる音の主張が伝わって来るのがよくわかる気がする。今から200~300年前のバロック、古典派、ロマン派という時にあっても当時に生きた人々にとっては現代音楽として聴いていたかもしれない。その想い(作曲家)がどう形となって私達の心に響いて来るのかは、主張の強さか、何も語ろうとしない無主張が心を動かすのかもしれない。音楽の持つ魅力は人々の心とどう共鳴しあえるかによって感じ方も変わってくると思います。1つの未来への実験的試みがいずれなんらかの形で後世に残っていく作品となることを期待しています。
メロディ、ハーモニー、リズムの3要素が散在している作品をどう統一的に感じ取れるのかは聴く立場としてもあらかじめアンテナを拡げて収集していく必要にかられるものがある。受け皿としての素養が必要なのかもしれない。とりとめのない感想となったが、今感じている正直な思いであります。貴重な機会を頂きありがとうございました。会場について:コンパクトな会場は音楽を聴くスペースとして十分なものであります。この位のキャパシティが室内音楽を身近に感じられる良い環境と思いました。身近に演奏家が感じられ、親しみを覚えるものです。今回西国分寺駅に初めて降りてこの会場にやって来ました。いつも国分寺駅を利用していたので、非常に新鮮な思いがする環境ですね。文化芸術分野が育つ良い土壌があると思います。
●さっぱりわけがわからない、そして全く心地よくない。しかし、なぜかひきつけられてしまう。ハートには突き刺さらない。だけど、脳みそに突き刺さる。いったい、これは何だろうか?雑音、静寂も音楽だというのか!!いつの間にかラビリンスに迷い込んでしまったのか?!合唱バカの私には理解できないのだが、そこには別世界に閉じ込められ、微笑んでいる私が存在していました。明日の合唱練習に影響してしまうのは間違いありません。
●このような企画のコンサートをまた開催してほしい。
●予想以上に面白く聴き応えがありました。クラリネットの弱音、重音など超絶技巧に圧倒されました。ハンドベルを車座でやるのはケチャみたいで面白かったです。
●演奏前に作曲家から解説を聴くことができた点が良かった。言葉通り距離の近さを感じられる演奏会だった。同じ作曲者の作品でも人数によって、または作品によって印象がかなり異なって聴こえおもしろかった。技術的にもきわめて難しいであろう作品を何曲も高いクオリティで演奏された楽器奏者の皆様、本当に素晴らしかったです。その他:開場前ロビーで待っていたお客様と屋外で並んでいたお客様はなにか違ったのでしょうか?今日は良い気候だったので気になりませんでしたが、夏や冬は厳しいのではと思いました。
(後日頂いたメール等から)
PJ未来派の皆様へ
●妄想と思考実験が演奏中に脳内に次々と泡立ってくる極めて刺激的な作品群でした。演奏会後も後遺症の様に奇想を増殖させ、非凡な感染力を示した大変迷惑(笑)な作品展でした…。言うまでも無く、演奏者の皆様のハイスペックな演奏技術と表現力があってこその素晴らしさでした。特殊奏法や超微弱音にこそにそれが現れていて感動的でした。また、いずみホールの規模感の相性が良く、加えて極めて躾の良い聴衆が味方して得られた完全な沈黙 がゆえに発揮された独奏楽器の超微弱音の表現力の豊かさ…などなど、興味深かったです。では、恥ずかしながら奇想・妄想を以下に書かせて頂きます。
■Vn-CI二重奏
ポーランドでの創作との事…。(全く筋違いなら誠に恐縮ですが)ポーランドという文脈が創作に影響はしていまいか…。具体的な言葉を用いる文学や実在的な材料による美術の表現に比して、抽象的な楽音による表現が音楽なのだが、創作時の地理的文脈も影響するのでは無いか…。演奏家とのやり取りを経て創作されたとの事。演奏家たちの「小さな物語」の集積の上に「大きな物語」がありはしないか…。アウシュビッツを含めポーランドという文脈が内包する歴史風土性の滲み出しへの想起を禁じ得ない。アヴァンギャルドにしてヴァナキュラー、前衛的にして風土的なことは、創作の厚みと奥行きを全くもって妨げない…。作者の(もしかして本人すら気づかない)非凡な感受性のなせる技か…。第二部の『明るさに…』もそうだが、作者の個性なのだろ「とても見晴らしの良い作風」と好ましく感じ楽しめた。これからのご検討を祈念致します。
■BogosseⅡ
やりつくされたかに見えて、音色の実験、リズムの冒険にはまだまだ未踏地はあったのだ!そう興奮させてくれた作品。
従前の音楽の3要素よりも[リズム×音色]≒テクスチャーこそが現代音楽の筆頭株主ではナイか…。分けても、バスフルート×ピアノによるマリアージュが艶っぽく好ましかった。あらゆる創作は、実は常に従前を「編集」しているが、その編集を編集する事もまた創作であり得る。正にThe show must go on!
■持続のための…
音楽そのものでなく音楽以前や音楽以後への興味…という作曲者の話が興味深い。言語で言えばラングとパロールの様な関係の事か…?そうであっても面白いが、別な妄想も去来する。世にアンビルド建築なる前衛がある。これには技術的に経済的に建てる事ができなかった建築プランという方が多いが、そもそも創らない為に設計されたアンビルドの方が圧倒的に面白い。その意味でアンコンポーズドコンポジションなるものを想起させられた。(作曲者の意図とは違うかも知れないと恐縮しつつ妄想すると)第1楽章、第3楽章は決してリアルに作曲される事のないピースである。アンコンポーズドな1、3楽章の為だけにコンポーズされた2楽章…。よって作品は2楽章を演奏していながら、けっして2楽章を表現していない…(失われたミロのビーナスの腕を夢想すべくビーナスを見るかの様に、聴衆は2楽章を聴く)
ケージの『4′33″』は楽音こそ作曲していないが、偶然性を設計し環境音や空間音響や違和感や…等等を作曲していた…。その意味でコンポーズドなコンポジション。ならば、アンコンポーズドな『持続…』は『4′33″』を超えたか…!?
■Galaxy…
本作品展中で随一の絢爛な作品。19世紀までのエクリチュールをズラしてスカして亜構築(ゆる構築)したサティや、切り刻んで脱構築したストラビンスキーを、更に切り刻んで散らかし倒すという何というスーパーフラット感。(勿論、誉め言葉として)服飾的な、ギャル的な絢爛な現代音楽。
ファンコットがインドネシア起点と知り、どうしてもガムランやケチャを想起せざるを得ない。もしかしてファンコットの高速性や反復性には影響がある様な感じもするし、逆に近親憎悪的に捨て去ろうとしているならこだわりのリバウンドの痕跡が残滓しているかも知れない…。そこで妄想したのは次作への期待。、ファンコットの中のガムランやケチャのリバンド残滓を解剖し抽出、換骨奪胎させてみる…。例えば高速反復構造の中の微細なガムラン残滓をマニエリスム的に猛烈に引き延ばしスローにした上にデフォルメ異形となった反復を載せ込む。聴衆が超大な銀河Galaxyを見ていたつもりと思わせ実は極ミクロのDNAの螺旋を見せられていたことになる…。絢爛から幽玄へ…などなど…。次々と妄想的思考を誘発する愛すべき作品と聴きえた。
以上です。これからのご健闘を祈念致します。