2017.5.5 『つぶてソング』&『マタイ受難曲』~音楽復興支援コンサート第5回~

2017/05/05(金祝)杉並公会堂大ホール

東日本大震災音楽復興支援コンサート第5回~3.11鎮魂の歌はまだ終わってない~

バッハ「マタイ受難曲」
指揮:郡司博/語り:渡部智也/独唱:山田英津子、谷地畝晶子、清水勇磨
管弦楽:(財)オラトリオ・シンフォニカJAPAN
合唱:東京オラトリオ研究会、東京ライエンコーア、音楽復興支援コンサート合唱団
児童合唱:三鷹中央学園三鷹市立第三小学校合唱団、おおさわ学園三鷹市立大沢台小学校合唱団、オーケストラとうたう杜の歌・子ども合唱団

和合亮一作詩・新実徳英作曲
『つぶてソング』全曲
指揮:新実徳英/管弦楽:(財)オラトリオ・シンフォニカJAPAN
合唱:東京オラトリオ研究会、東京ライエンコーア、音楽復興支援コンサート合唱団

13:10より児童合唱団によるウエイティング・コンサート
「Peace of God」Jhon Rutter
「聞こえる」岩間芳樹作詞・新実徳英作曲

≪観客アンケート等から≫
●つぶてソングは初めて聴きましたが良い曲でした。
●マタイ:終曲前のバスのアリアで涙が出てきてしかたがなかった。Bach「マタイ受難曲」はこの世の最高の音楽だと思ってます。この世と別れる時にはこの曲を聴きながら眠りにつきたいと思います。聴きたい:第九、マタイ受難曲、バッハモテット「イエスわが喜び」
●ウェイティングコンサートがあったのは嬉しいおどろき。マタイ:語りが良かったです。が、歌の場面とキリスト教について色々考えると、どうも内容にすんなり溶け込めません。つぶて:新実さん直々指揮はオーケストラとまじって、とても美しいと思いました。ありがとうございます。NPO:頑張って活動なさっているなあと、常々感心いたしております。
●マタイ:宗教曲は派手さがないので、時々退屈と思う事がありますが、今日の演奏スタイルは変化があって面白かったです。「老いも若きも」という点も良かったのですが、小さな子が歌わないのにずっとステージにいるのは厳しかったのではないでしょうか?コックリコックリしている子もいたり、ずっと寝ている子もいたりして少しもあきませんでした。本当に可愛いものですね。それ以外の子がずっとおとなしくしているのにも感心しました。字幕があるのは良かったのですが、それを誰が言っているのかもはっきりわかるともっと面白かったと思います。つぶて:感動的な曲でした。
●いつもですがコーラスが統一されていて素晴らしいです。
●つぶて:きれいで切ない曲でした。東北には何度か訪れていますが、完全復興はまだまだ。東北の方々の気持ちを私達は忘れないことと思ってます。
●つぶて:字幕があった方がまたまた感動すると思います。NPO:幅広く活動している様子に感動します。聴きたい:群青
●マタイ:素晴らしかったです。エヴァンゲリストが語りになっていて大変わかりやすかったです。つぶて:衝撃の曲でした。歌い続けていただきたい曲ですね。
●つぶて:一つひとつが題名でびっくりした。(10代学生)
●クラシック音楽に小学生は観客、演者共に節度を持って欲しい。聴きたい:モーツァルト「ミサ・ブレヴィス変ロ長調」
●聴きたい:ヨハネ受難曲
●マタイ:素晴らしかった。ソリストの方々も若々しい声で伸び伸びと歌っていらっしゃいました。オラトリオ・シンフォニカJAPANが上手と評判でしたが、一人ひとりがソリストで、表現力が素晴らしかったです。何度曲の途中で拍手しそうになったことか。合唱はさすが郡司先生!!教会の中で聴きたい!この曲にピッタリの音色で素敵でした。楽しみにしていただけの事がありました。字幕もあって良かったです。つぶて:言葉がよくわかってこれからも復興の輪を広げていかなければという気持ちになりました。
●クリスチャンではないので、祈る気持ちで聴くことは出来ませんでしたが、音楽を楽しんで聴けました。でも色々と思いました。この物語音楽をユダヤ教徒やイスラム教徒の人が作曲したらどんなものになったのだろうかと。つぶて:今日来たことに満足しました。返せ返せと歌う気持ちは伝わりましたが、原子力を用いてきた事の反省が必要だと私は思います。NPO:小ホールでコントラバスを補強して合奏曲等聴いてみたいと思いました。シットリとした音楽が聴けるかもしれないと思いました。
●マタイ:迷い、真実が見えずに生きる群衆の言葉を歌う「群衆」そのものである、様々な年齢の方々の力強い合唱に感動しました。’79に日フィルとのヴェルディ「レクイエム」に参加しました。当時の楽譜の余白に「アマチュアの最高になろう!」と書いてありました。15歳でした。郡司先生のお元気なエネルギッシュなお姿を拝見でき嬉しかったです。
●マタイもよかったが、つぶてが素晴らしかった。聴けてよかった。一人でも多くの人がこの曲にふれる機会をもてますように。聴きたい:ドイツレクイエム NPO:益々の発展をお祈りします。
●子供達を含めて感動しました。
●共に鑑賞初心者には少し難しかったです。もう少し易しい曲と組み合わせて頂けると聴きやすかったと思います。
●マタイ:良かったですが、90分あったので子供達が気の毒でした。内容は最高でした。字幕があったのがとても助かりました。つぶて:なかなか良かったと思います。どこぞの前復興担当大臣に聴かせて感想をもらったらいかがでしょうか。その他:休憩のアナウンスがなかったので、トイレに行き始まってしまった。
●マタイ:とても素晴らしかった。エヴァンゲリストの本日のスタイルは私にはとても分かり易く、曲に入りこんで聴かせて頂くことができました。聴きたい:マーラー「復活」
●マタイ:テノールのソロ歌手がいなくて残念。合唱、ソプラノ、アルト良かった。つぶて:とてもよかった。聴きたい:3/20に聴き逃したショスタコーヴィチ「森の歌」
●マタイ:子供達のお行儀悪くて気になりました。「子供だから仕方がない」という方もいるでしょうが、「郡司指揮のマタイ」が聴きたかったのですがとても残念!つぶて:素晴らしかったです。
●小学生が出ていましたが、90分座っている状況はしょうがないものか舞台で遊んでいるもの、すっかり寝ているもの、トイレに行きたいもの、音楽を聴きたいのにと思っています。舞台に上げる理由も今一つの問題。
●つぶて:150名の合唱に感激しました。ふるさと福島、貧しくとも美しい森、田畑を思い、そこで頑張っている人々を一人ひとり思いながら聴いていました。次回も核の電気、核兵器もなくなるまで声をあげて下さい。核のゴミどうするの?NPO:復興支援コンサート5回、3/11はまだ終わっていない。そうなのです。
●日本語の歌はやはり難しいですね。もっと訴えかける歌い方と発音をして欲しいです。聴きたい:ドイツレクイエム、バッハH-moll
●素晴らしかったです。マタイ受難曲と福島復興が重なりました。ありがとうございました。聴きたい・バッハ・コラール
●肉声の持つ温か味、凄み、そしてハーモニーの素晴らしさ。久しぶりの合唱を聴きましたが、やっぱりとても心に入ってきますね。皆様の心が伝わってくるような時がいくつかありました。これからも楽しみにしています。聴きたい:ドヴォルザーク「レクイエム」
●マタイ:全曲のレコードも持っています。大好きな曲です。初めて生演奏を聴いて素晴らしい演奏に酔っています。聴きたい:第九、ヴェルディ「レクイエム」
●プログラム、構成(字幕や語りも入り)が付き分かり易く、親しみながら鑑賞できました。子供達がいつも貴重な体験をさせて頂き心より感謝いたします。
●マタイ:期待以上に大変良かった。合唱、独唱、皆さま共素晴らしい演奏だった。独唱の粒が揃って良かった。合唱は男声、児童が頑張っていた。出番の少ない子供達も行儀よくしていて感心した。残念なのはやはりピアノの音はバッハとそぐわない事で、最後まで違和感が残った。チェンバロを用意できなかったのだろうか。聴きたい:ブルックナーの宗教合唱曲
●マタイ:素晴らしかった、感動しました。つぶて:福島、被災者の心がよく表現されて良かったです。素晴らしかったです。
●ヴァイオリンの中島ゆみ子さんは、地元上尾の有名な方。上尾でも演奏を聴きたいです。聴きたい:河口(筑後川)、ロシア曲
●つぶて:原子力技術に関わったもののひとりとして罪深さに心が沈んでおります。「つぶて」に打たれ身も心もボロボロに・・・しかし、罪は償われなければなりません。でも、どうやって・・・?何故生きる?(cf.無念の死)マタイ:「cf. #57, Aria/Bas x Cello Duo」がよかった。
●聴衆に感動を与えるレベルに達していた。聴きたい:バッハのカンタータ

≪後日お客様から届いたメールより≫
★アンケートを頂いた方から後日コラムを送っていただきました。本公演の構成に関しても主催している私共以上のご理解、分析を頂きましたので、ご本人の了解を得て掲載させて頂きます。コラムはこちら(PDF)からご覧頂けます。以下文章のみ掲載させて頂きます。

担うべき十字架~受難曲復興に向けた鯉幟(こいのぼり)~
地球技術研究所・代表  荒川文生・学術博士(技術史)

1.復興支援コンサート

 新緑に包まれて穏やかな「ゴールデンウィーク」を如何お過ごしでしたでしょうか?混迷と退廃を極める国際情勢のなか、日本では一部の狂信的政治家が歴史に学ぶことを忘れ、再び孤立と破滅への途を歩もうとして居ます。
 しかし、情勢を見誤って居ない人々、例えば、「NPO法人おんがくの共同作業場」の皆さんは「3・11鎮魂の歌はまだ終わっていない」として、5月5日に杉並公会堂で東日本大震災復興支援のコンサートを主催されました。自然災害を原子力発電所事故と言う人災でいっそう過酷なものとした責任の一端を担うものとして些かでもその罪の償いを為すべく、会場に向かいました。

2.マタイ受難曲

 これまで「メサイア」など宗教音楽を聴き、それなりの感動を覚えたことがない訳ではありません。しかし、福島事故の責任と言った在る種の罪の意識を持って「マタイ受難曲」を聴くことで、些か自意識過剰とは言え、思いもよらぬ感情と思考とを強いられることと為りました。イエスが担ってくれた十字架が、我々を罪から救ってくれるのかと言う感情とそれで事態は何の解決にも至らぬであろうと言う思考です。
 バッハがマタイ受難曲を通して人々に訴えたかったものは、イエスをこの世に遣わせて人々を罪から救おうとした愛の大きさなのか、それにもかかわらず人間が犯す罪の悍ましさなのでしょうか?また、受難曲を災害復旧のために謳う人々、指揮者、演奏家、コーラスメンバー、そして主催者の皆さんのお気持ちが、被災者の皆さんにどの様に伝わるのでしょうか?そして復興の衝に当たって居られる方々に、このお気持ちがいっそうの励みとなって伝わることを祈らずには居られません。
 そのいっぽうで、このような感情を抱いたことを以って災害からの復旧が図られるとするのは、非現実的と言わざるを得ません。その気持ちを励みとして、復旧に当たるべき者一人ひとりがその能力と状況に応じて為すべき事を着実に具体化して行く事を決意する思考が求められます。受難曲の後半に歌われるバスのアリア「おいで 甘き十字架よ…」(#57 “Komm, süßes Kreuz,”) が、チェロの二重奏を後ろ盾にして、聴き手の心に響かせるものはこの思考を確かなものとして実践する決意です。

3.つぶてソング

休憩を挟んで次に歌われた「つぶてソング」は、フルサトを奪われた人々が心の底から叫ぶ言葉の数々を、或いは激しく厳しく、或いは切なく哀しく、聴く人の胸に響く旋律を以って伝えるものでした。
 曰く「この震災は何を私たちに教えたいのか。教えたいものなぞ無いのなら、なおさら何を信じれば良いのか。」「許せるか、あなたは、この怒りを。許せるか、あなたは、この時を。怒りは怒りを許せるのか。悲しみは悲しみを愛せるのか。」「僕はあなたは、この世に、なぜ生きる。僕はあなたは、この世に、なぜ生まれた。僕はあなたは、この世に、何を信じる。」 これらの問いかけに応えるべき何物も持たない者は、ただじっと身を固くして座席に蹲るのみでした。ただ、つぶてに打たれて身も心もボロボロ・・・。担うべき十字架の重さを感じて気持ちは落ち込み、復旧の道のりの遠さを考えて思案に暮れるばかり・・・。
 しかし、復旧に当たるべき者一人ひとりがその能力と状況に応じて為すべき事を着実に具体化して行く事を決意する以上は、受難曲のバスのアリアが「私のキリストよ!その十字架を何時も私の心に授けて下さい!」と歌うように、キリストと共に十字架を担い、復旧への長い道のりを歩み通さねばなりますまい。

4.担うべき十字架
電気学会は、1998年5月に「倫理綱領」を制定しました。それに付随する「行動規範」には、次の一項が標されて居ます。

1-2  安全の確保と環境保全: 会員は,電気技術が公衆の安全や環境を損なうことにより健康および福祉を阻害する可能性があることを強く認識し,技術が暴走し破滅的な結果を招かないよう,安全の確保と環境保全のため常に最大限の努力を払うと共に,安全と環境管理に関する責任体制を明確化する。

 この規範が的確に順守されて居れば、東日本大震災に伴う福島原発事故による災害がこれほど過酷な物とは為らなかったと考えられます。この趣旨に即し、2011年5月に会員の一人として然るべき責任を負うべく「処分」を願い出ましたが、その結果 「処分に該当しない」として願いは却下されました。諸般の事情に鑑み、この結果を已む無しとは致しましたが、復旧への長い道のりを歩む次の一歩として、福島原発事故の検証を試みました。具体的には、電気学会に「日本における原子力発電の歴史調査専門委員会」の設置をお願いし、主として原子力発電所の安全を確保する技術の発展過程における事実を集積し、これを国際的かつ社会的視野を含めて分析し、的確に達成されたものや為すべくして為されなかったものを検証し、今後へ提言を報告書に纏めました。(2016年6月、技術報告#1356)
 この報告書には、例えば「原発再稼働是か非か」と言った問いに直ちに答える内容は含まれて居らず、諸賢のご期待に必ずしもお応えするものとはなって居りません。下手な言い訳ですが、学会の研究活動は、さまざまな見解を集め、それらに対する事実に基づく合理的な判断を示すもので、それに拠り会員各自が主体的な実践を為すべきものなのです。
 そこで現在、微力な電気技術者が取り組むべき復旧への長い道のりを歩む次の一歩を検討中です。抽象的であまり定かな物でないところをご寛恕戴けるならば、その作業目標は2050年を目途に、「電気を『スマート』に使う共同体」の在るべき姿を描き、それに至る道のりを提案する事です。諸賢のご指導ご鞭撻をお願いする所以です。